2011年12月31日土曜日

これからもつながっていきましょう!

2011年、私たちは未曾有の大災害に見舞われました。そして、人と人とのつながりの大切さに、みんなが気づかされた年でもありました。

シニア・ナビは1999年にスタートしましたが、そのときの私たちの思いがまさに、「人と人とがつながることを応援したい」でした。

家族でもない、仕事でもない、地域でもない、新しい時代のつながり方を、そして新しい生き方を、これからのシニアの方々にぜひ、見つけていただきたい、そんな思いでこの12年間、シニア・ナビを運営してまいりました。

これまで、ブログやメールを通じて、ギャラリーやオフ会を通じて、多くのメンバーに新しいつながりを作っていただけたと存じます。新しい友達やパートナーに出会えたというお便りをいただくたびに、私たちは、ほんとうに遣り甲斐のあるお仕事をさせていただいているという充足感に満たされるのでした。

もちろん、いろいろ困難なときもありました。そのたびにメンバーの皆様に支えられて、ここまで続けることができました。本当にありがとうございました。

2012年、シニア・ナビはこれまでよりいっそう、リアルな活動を重視してまいります。

まずは、2012年1月21日に、第4回オフィシャルオフ会を浅草にて開催します。

http://www.senior-navi.com/off/01.html

そして1月28日には、陶芸体験を開催します。講師の指導の下、手びねりの陶芸を体験しようというものです。

http://www.senior-navi.com/monitor/24/index.html

初めての方でも、おひとりで参加されても、すぐに打ち解けられるよう、経験豊かなスタッフができるだけフォローさせていただきますので、安心してご参加ください。

皆様からの、こんなイベントがあったらいいな、というご意見、大歓迎です。トップページ右のコーナーからコメントしてください。

それでは2012年も、シニア・ナビで豊かなつながりを紡いでまいりましょう!

2011年12月12日月曜日

「死」について

フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの『死』という500ページにも及ぶ大著を読みました。「読んだ」というより、社会人学生としてusagiが通っている大学の授業で、「読まされた」といったほうがいいかもしれませんね。

私たちはシニアですから、「死」について、よく考えますよね。長生きしてぽっくり死にたいというのが、大方の希望でしょう。この『死』という本は、もちろん、楽な死に方について書かれているわけではありません。

「死」とは何か、哲学的に考察しているわけです。小さな文字でびっしり、500ページもですよ。頭がくらくらしてしまいます。

これまでの賢人や哲学者が死についてどう語ったかということから始まって、宗教における死とか、いろいろ書いてあります。しかし結局、著者は「死は無である」と結論付けます。あの世というものはない、と言うのです。

人は死ねば、「無」になってしまうのかと思うと、とても虚しい感じがします。自分が「無」になるなんて、恐ろしいことです。どうやって、受け容れればいいのでしょう。

著者はしかし、最後に、希望を見せてくれます。人間は死んだら、その肉体も精神も無に帰してしまいますが、「私」という人間が確かに存在したという事実は、決して無にはならない、と言うのです。

そう言われれば、そうですよね。存在したということは、決してチャラにはならない。私を知っている人がすべて死んでしまったあとでも、「私」という人間が存在したという事実は、消せない。

死のことを考えることは、生のことを考えることだと、著者は言います。死があるからこそ、生きていると言える。死がないものは、生きてはいないのと同じこと。死があるからこそ、生が輝くのです。

冬枯れを目前にして、紅葉が一瞬燃え上がるように鮮やかな輝きを見せるように、私も自分の生を輝かせることが出来るでしょうか。

2011年11月27日日曜日

60代半ばから描き始めてユネスコ世界記録遺産登録へ

狭い炭鉱の坑道に寝そべるようにしてつるはしを振るう褌一丁の男、その後ろに、これも腰巻一枚の女が、掘り出された石炭をかき出している。

山本作兵衛さんの描いた炭鉱絵が、今年5月に、日本で始めて、ユネスコの世界記録遺産として登録されました。

その独特な炭鉱絵は画集として出版されて話題にもなっていたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

先日、NHKの番組「日曜美術館」で、作兵衛さんが炭鉱絵を描いたいきさつを知り、深い感動を覚えました。

作兵衛さんは7歳のときから父とヤマ(炭鉱)に入り、以来50年余り、筑豊で炭鉱夫として生きてきました。

閉鎖された炭鉱の宿直警備員として働いていた60代半ばに、子や孫に炭鉱のことを語り継ぎたいという一心で、炭鉱絵を描き始めました。

92歳でお亡くなりになるまでに2000枚あまりを描いたということです。

60代なかばから新しいことを始めて、その後の30年間でユネスコに登録されるほどの人類の偉業をなしとげたことに、私はとても勇気付けられました。

さらに驚いたことには、絵で記録するという方法にたどり着くまでに、紆余曲折があったということです。

60歳のころ、彼は文字で炭鉱の記録を残そうとして、2000枚近くの原稿を書き上げたそうです。しかし、ヤマに入る人にはさまざまな事情があり、それは公にされるべきではないという忠告のもと、その原稿を廃棄せざるを得なかったということです。

普通なら、ここで記録を残すことを断念するのではないでしょうか。それが、60代半ばにもなって、まったく違った、絵という手法によって、記録を残すという作業を成し遂げようと決意したわけです。しかも、絵を学んだことはないという。

番組でも言っていましたが、彼には、「描く理由」が明確にあったということです。だからこそ、ぶれない。

伊能忠敬は、商売で財をなした後、50歳で江戸に上り、測量を学んで、55歳から17年をかけて全国を測量しました。人生50年といわれた時代に、50歳から新しいことに取り組んだのです。

こうしてみると、シニアになってから、まったく新しいことに挑戦していくことに、大きな希望が見いだされませんか。

2011年11月4日金曜日

大学の成績

(始めての方へ:事務局長のusagiは現在、早稲田大学において正規の学部生として政治学を学んでいます。)

大学生生活は楽しいけど、テストやレポートはいや、なんていう学生は多いですよね。
usagiも、これには、本当に苦労しています。

1学年は、前期と後期に分かれていて、 それぞれ期末に論述式のテストがあります。それ以外に、学期途中にレポートや発表が課せられます。

usagiは、どちらかといえば、暗記型のテストのほうが、好きですね。あまり自分で考える必要がなく、ただひたすら、講義内容を頭に叩き込むのです。ま、ボケ予防には最適でしょう。

期末テストの前1ヶ月くらいから講義のまとめに入り、小さな紙に書き付けて、ウォーキングしたりしながら覚え、事前に模範解答を自分で書いてみてから、試験に臨みます。

しかし、体験から言えば、講義内容をほぼ完全に再現できたとしても、Bしかもらえません。Aをとるには、それにプラスアルファーがなければなりません。それはたぶん、講義内容を自分なりに深めて、先生をぐっとひきつけるような論の展開が出来た場合でしょう。

レポートや発表もそうです。お勉強したことだけを書いたのでは、小中学校の「調べ学習」とたいして変わりません。学んだことを使って、自分の頭で考えなければ、意味はないのです。

 自分の頭で考えるのって、ものすごく、苦しいです。ひとつのレポートを書き上げるまでは、寝てもさめても、そのことばかり考えています。そんなときは、ゆったりガーデニングとかして暮らせばいいのに、なんで、こんなことをやっているんだろうと、後ろ向きの考えに取り付かれてしまいます。

しかし、ある時点から、その苦しみが、喜びに(?)変わっていくんですね。それは、混沌とした思考の中で、ある方向性が見つけられたときでしょうか。レポートを仕上げるころには、本当に、書くことに没頭し、それを楽しんでいる自分を見つけるのです。

 そして、それが成績として評価されたときのうれしさは、何物にも代えられません。

これは、大学の勉強だけではないですよね。マラソン大会で上位に入ったとか、競技ダンスで高得点を出せたとか、絵や短歌が入賞したとか。

努力したり苦しんだりしたりすることがあってこそ、この喜びがあるわけですから。

そう言い聞かせながら、今日も、うんうんうなりながら、苦しい作業を続けているusagiです。

2011年10月17日月曜日

ひるむな、社会人大学生!

usagiは今年で、社会人大学生になって、なんと、5年目に突入しています。

今在籍している学部は、全学年通じても、社会人はほんの数名、ほとんど毎日、 一言も話さずに一日を終えるという感じです。なにしろ、周りは18歳や20歳ですからね。
勉強しに来ているのですから、そのこと自体は、まったく問題はありません。寂しいと思ったこともありません。

それよりなにより、授業が面白くてたまりません。

特に、最近は国際関係についての授業を多くとっているのですが、どれも、とても刺激的です。

先生は、実際の外交交渉や国際的な動きについて、ビビッドな話題を盛り込みながら講義を進めて下さるので、毎回、身を乗り出すようにして聞いています。

そうですね、まるで、池上彰さんの番組を見ているような感じです。

もっとも、大学ではもっと体系的に、突っ込んだ話までしますが。

テスト、レポートがありますが、もしこれがなかったら、講義を聞き流すだけの受身の姿勢で、知識も思考も深まらないでしょうね。

そんな楽しい授業も、しかし、時々、ちょっと、ブルーになることがあります。

それは、私と同年輩か、ずーと若い教授が、立て板に水のごとくレクチャーをするのを聞いていて、なんというか、自分と比べちゃうんですよね。

同じ人間でも、向こうは教授、こちらは「いい歳して学生」 。

いったい、自分はこれまで、何をしてきたんだろう、と。

特に、私より若い女性の教授なんか、正直言って、こちらが萎縮してしまいます。

(本当は、なにごとにも謙虚にならなくてはいけないんでしょうが、人間が小さい証拠です。)

もちろん、学生時代のusagiに、学者になるという選択肢は300%なかったし、自分は自分の道を一生懸命に、「私なりに」がんばって歩いてきた、と思うようにするのですが・・・。

教授は、大変な努力をして、ここまでの業績を積み上げてきたのだから、学問の前には、謙虚になろう、真摯に学ぼう、と。

・・・こういうところが、歳食った社会人学生の微妙な心理ですね。

やはり、自分より少しでも年上の男性の先生が、心理的には安心感があります。いつものパターンですから。

ああ、なんだか、自分の保守性に、あきれちゃいますね。(汗)

2011年10月2日日曜日

ストローでコーヒーを

カフェで、コーヒーカップにストローを突っ込んですすっている人を、最近たまに見かけます。ちょっとびっくりして、引いてしまいますが、でもその人は、たぶん、歯をホワイトニングしているか、歯を白く保ちたいと思っている人なんです。そんな人のことを、巷では「ストロー族」と呼んでいるそうです。

ストロー族は、色のついた飲み物ならなんでも、ストローを突っ込んですすってしまいます。紅茶や緑茶はもちろん、レストランで赤ワインをいただくときも、おもむろにストローを取り出して、優雅にワイングラスから喉元へ吸い上げて味わいます。

ですから彼らは、外出するときは皆、「マイストロー」をバッグの片隅にしのばせています。これだけ歯の白さにこだわっている人ですから、ストロー族がにっこり微笑めば、真っ白い歯がこぼれるのは、しごく当然のことといえましょう。

ま、これは冗談半分の話ですが、しかし、usagiもついに、ストローデビューを果たしました。といっても、さすがに公衆の面前でストローでコーヒーをすする勇気はなく、もっぱら軟弱な「おうちストロー族」に徹してはいますが。

さて、歯の話です。

usagiが子供のころは、朝起きたら朝食前にちゃちゃっと歯磨きをしてそれっきり、という時代でした。
朝食後、寝る前の歯磨が推奨されるようになったのは、だいぶ大人になってからでした。
それでも、若いときの不規則な生活と不摂生がたたり、30歳になるまでに奥歯を何本も失ってしまっていました。

結婚して子供が出来てから、子供の歯の健康についていろいろ読んだり、勉強したりするうちに、歯に対する意識がだんだんと高まっていったんでしょうね。子供の歯も大事だが、自分の歯も、これ以上、虫歯を作らないようにと、親子で歯磨きをがんばるようになりました。

50歳をすぎるころから、歯周病のことも気になりだして、 歯科医に定期的に通って、チェックしてもらうようになりました。そこで歯科衛生士さんに隅から隅まできれいにしてもらいます。やはり、プロにやってもらうと、違います。つるつるになります。

若いときに失われた歯は戻りませんが、努力の甲斐あって、 30代以降は、ひとつも歯を失っていませんし、歯医者さんに褒められるほど、健康でしっかりした歯茎を保っています。なにしろ、100歳まで自分の歯で噛むのがusagiの目標ですから、歯にいいと聞くと、なんでも試しています。

usagiが実践しているのは、

・朝食後、就寝前の歯磨きに加え、ランチのあとも、出来るだけ歯磨きをする。
・就寝前の歯磨きは、テレビを見ながら30分たっぷりとかける。
・歯ブラシは、1ヶ月に1本は買い換える。
・ 2ヶ月に1度、歯科医に定期検診に通う。

そして、最近始めたのが、冒頭に述べたストロー作戦です。
お茶やコーヒー、赤ワインを飲むとだんだんと歯に汚れがこびりついて、歯磨き粉で磨いても、なかなか白い歯にはなりません。usagiは赤ワインが大好きなんですが、家で飲むときは、ストローで飲むようにしています。最近は、コーヒー、緑茶の類も、ストローで飲むようし始めましたが、心なしか、歯が白くなったように思えて、一日に何度も、鏡でチェックしてしまいます。

ストロー族が巷に氾濫したら、面白いでしょうね。そうなったら、usagiも堂々と、カフェでストローを使うようになれるでしょう。

2011年9月12日月曜日

自分史に挑戦

先日、本屋さんをぶらぶらしていたら、「自分史」 の本がふと目に留まりました。ぱらぱらめくってみると、年表形式になっていて、しかも歴史的な出来事も合わせて参照することができるようになっていて、なかなかよく出来ています。

原稿用紙に向かって自分史を書くという作業は、凡人にはなかなかハードルが高いものですが、年表くらいなら、私にも出来そうな気がします。

値段も手ごろだったので、すぐに買い求めて、早速、書き始めました。

まず、「2011年3月3日 還暦を迎える」と記しました。そして60ページさかのぼって、「1951年3月3日 誕生」と書き記しました。

私の生まれた年には、 第1回NHK紅白歌合戦が始まり、日米安全保障条約が調印されたことがわかります。父は31歳、母は24歳でした。(若い!) そのころのアルバムを引っ張り出して、ういういしい若い母の姿に見入ります。

「1964年10月10日東京オリンピック」。そのとき、私は中学1年生。こう書くと、そのときの学校の様子、担任の先生、同級生のこと、女子バレーボールのことなどが思い出され、アルバムをめくり、ほっぺたがはちきれんばかりの、そのころの私を探したりしました。

ふう、自分史年表作成には、膨大な時間がかかりそうです。

しかし、今年60歳という節目を迎えて、これまでの人生を振り返ってみるのも、悪くないなと思いました。

ただ、過去を懐かしむだけではないのです。自分史を書くと言うことは、自分の人生は、これでよかったのか、という問いを立てることでもあります。自分のこれまでの生き方の意味を問うことでもあります。

人はだれでも、すべてが褒められるような人生を歩んできたわけではないのではないでしょうか。思い出したくもないような失敗や、恥ずかしいこともあるでしょう。苦しかったこと、悲しかったことも。

しかし、無意味なことなんて、人生にはひとつもありません。必ず、自分にとって、なにかしらの意味があるはずです。そして、ほかの人にとっても。

私は、(ずうずうしくも、)人生100年計画でいこうと思っています。ですから、これからの40年(長い!)を、どうやったら有意義なものにできるのか、それが最大の関心事です。そしてそのヒントは、これまでの60年の生き方そのものの中にあると考えます。

自分史を書くことで、何を見つけられるか、とても楽しみです。

2011年8月31日水曜日

中国・上海江南地方のツアー

先日、中国・上海江南地方に1週間ほどパックツアーで行ってきました。

前々から中国には一度は行かなくちゃと思っていたのですが、いつものとおり個人手配でと思うと、なかなか踏み出せないでいました。

今回のツアー、飛行機代にもならないような超激安のツアーです。友人に話すと、口々に「大丈夫?」「埋められちゃわない?」「みやげ物店、つれまわされるよ」といった、ツレナイ反応。

大手の旅行代理店だし、新聞にでかでかと広告載せてるし、大丈夫だとは思うけれど、・・・でも、なんとなく不安になって、 ネットで激安ツアーのからくりを調べてみました。

ネットってすごいですね。どんな疑問にも答えてくれます。激安ツアーは、なぜそんな安い料金で出来るのかが、わかりました。

簡単に言えば、日本の旅行代理店は現地のツアー会社に丸投げして、現地のツアー会社は土産物屋からのマージンとオプショナルツアーの利益で赤字を補填しているということです。

大量の日本人観光客が安定的に供給されるので、通年を通すとそれでも十分にやっていけるのだそうです。

それに、ものによりますが、物価が日本の十分の一以下とも言われる中国だからこそできる価格設定なんでしょうね。

このようなからくりを知った上で、どうやったら、賢く超激安ツアーを使えるかが、今回の旅の目的のひとつでした。

もうひとつは、というか、こちらのほうが主な目的なんですが、ツアーの隙間時間で、現代中国の現実にちょっぴりでも触れることです。

結論からいいますと、「大満足」のツアーでした。
 
行きの飛行機は、夕方出発でホテル着が24時。帰りの飛行機は早朝発で、往復で2日がとられることに。 でも、7泊8日のツアーなので、正味6日は観光に使えます。私にとってはこれで十分です。

旅行で大事なのが、ホテルですよね。広告には、「当社デラックスホテルに宿泊」と書いてあります。
しかし、この値段で、デラックスホテルはないだろう、ま、清潔ならどんなホテルでも我慢しよう、と思っていたのですが、 これが、びっくり!

7泊とも、本当に、デラックスホテルなんです。東京で言えば、1泊2万はするだろうと思われるような広々とした部屋で、ロビーも大理石やシャンデリアが燦然と輝く豪華さ。多少、サービスがよくなかったり、シャワーの使い勝手がよくなかったりはしましたが、こんなのはご愛嬌です。ロケーションも町の中心部からは離れていたりして、よくはなかったですが、バスで移動するので、問題ありません。もう、大満足のホテルでした。

観光は、1日に2箇所程度。時間もわりとゆったり組まれていて、ガイドさんの説明も よかったです。水郷の町を船にのったり散策したり、景色も、思ったよりよかったですね。

問題のおみやげ物や周りですが、1日に2箇所、絹製品、お酒、淡水真珠、マットレス?、印鑑など、いかにもシニア好みのものばかり。
皆さん、強制されたわけでもないのに、「自主的に」結構よくお買い物なさっていらっしゃったのには、びっくりでした。真珠クリームなぞ、女性全員がまとめ買いしていました。まあ、ショッピングは旅行の楽しみの一つですからね。

なにしろ、この売り上げでツアー代金を補填しているのですから、usagiとしては、当然と思ってショッピングにお付き合いしました。といっても、店内を冷やかしてまわっただけですが。usagiのツアー代金は、言ってみれば、ほかの方に出していただいたようなものでした。

ツアーにオプショナルツアーは付き物ですね。初日に、ガイドさんから、弊社はこのオプショナルツアーで成り立っているのでご参加よろしくと、やんわりとプレッシャーをかけられましたが、正直なかんじで、悪くなかったです。

さすがにusagiも、少しはガイドさんに協力しなくちゃと思い、民族舞踊のショーにお付き合いしました。内容は、なかなか幻想的でよかったですよ。

オプショナルツアーが一人平均1万だとすると合計で○万、土産物屋のバックマージンが○万、〆て○万の売り上げで・・・・ああ、これなら利益が出るなあ、なんて、バスに乗っている間、考えていたら疲れちゃって、なんで私がツアー会社の経営の心配をしなくちゃならないんだと思い直し、それからは、少しは外の景色に集中するようにしました。

さて、肝心の現代中国ですが、やはり、実際の中国を見てまわれて、よかったです。今回は上海周辺の沿岸地方中心だったので、 行く先々で、中国の豊かさに驚かされました。高速道路の周辺には高層マンションが延々と立ち並び、農村地帯もヨーロッパのようで、家も大きく(大家族のせいでしょうか、土地がひろいからでしょうか)、豊かさを実感しました。

一方、言われているように、格差も実感しました。高層ビルの立ち並ぶ上海の町の中心部にも、 バラックのような家々が密集している地帯があって、豊かさに取り残されたような庶民の暮らしがありました。しかし、usagiは、そんな人々の昔ながらの暮らしが、とてもいとおしく感じられます。

地元の人が行く果物やさんで50円ほどで買った巨峰のおいしかったこと、どんな土産物よりいい買い物をしたと思っています。

パックツアーは、旗を持ったガイドさんのあとをぞろぞろ着いて行くのが恥ずかしいですが、それに慣れてしまうと、気楽でいいですね。海外の個人旅行だと、緊張の連続で、ま、それなりの発見もあって、楽しいのですが、気づかれします。それぞれの長所短所を理解して、上手に利用したいですね。

今度は、個人旅行でゆっくり中国を訪れてみたいものです。

2011年8月14日日曜日

男の日傘

34度5分。
これが、昨日の我が家の最高気温でした。節電のため、日中は扇風機だけで我慢してきましたが、いよいよ、エアコンのスイッチに手をつけてしまいました。

室内ではノーメイクでアセをタラタラたらしていてもかまいませんが、外出となると、そうもいきません。紫外線対策のメイクをばっちりして、長袖、手袋、そして、日傘はかかせません。

この日傘、一昔前は中年オバサンの象徴みたいでしたが、最近は、大学でも女子学生が日傘を指している姿をよく見かけるようになりました。 いい傾向です。若いときから紫外線対策をしていれば、年とってからでも美肌を保つことができることでしょう。

日傘をさすと、体感温度は2度も違うそうですね。私は、夏は日傘なしでは、もう外を歩けません。

ところで、最近は男性の日傘もよく売れているそうです。確かに、 デパートなどでは、紳士小物のコーナーなどに、男性用日傘が飾られていて、あまり売れすぎて、品薄状態だそうです。

男性だって、日傘をさせば、ずいぶん外歩きが楽になるのに、と、私は常日頃から考えていましたから、これは大歓迎でした。

しかし、見ないんですよね。街で日傘をさしている男性に。あんなに売れているというのに・・・。

たぶん、勇気を出して買ったはいいけど、自分ひとりが日傘をさして歩くという言うのには、やはり躊躇してしまうんでしょうね。

雨なら、男性だって堂々と傘をさしますよね。それが、同じ傘なのに、日傘というとさせなくなってしまうのは、たぶん、日傘は女性がさすものという意識が根強いからなんでしょうね。涼しいからといって、男性がスカートをはくわけにはいかないのと同じです。

性による差異は、社会や体や心の隅々まで 支配しています。これを打ち破るのは、並大抵のことではできません。

確かに、女性の男性化は、この100年でずいぶんと進みました。女性がズボンをはくようになったのが、いい例かもしれません。しかし、男性の女性化は、それと比べると、少ない。それは、男性優位社会がもたらしたもので、女性の男性化は、より上のほうへ向かう意識があるのにくらべて、男性の女性化は、より下の地位に降りるという意識が働くからだという説がありますが、どうなんでしょうね。

私が社会人学生として通っている大学のキャンパスを見る限り、 男子学生のおしゃれ度は100%です。女性と比べても見劣りしないくらい、みなさん、おしゃれに気を使っています。服装、髪型、靴・・・もう、ギャル男ばかりです。

ところが、化粧、そして、日傘だけは、いまだに、している人は皆無です。

化粧は別にして、日傘は、ぜひ、愛用してほしいですね。直射日光をさえぎり、涼しい上に、高齢者になると増えてくるシミの防止にも役立ちます。薄毛予防にも効果があるそうですよ。

男性の皆さん、今日、いっせいに日傘(黒の雨傘で結構)をさして、堂々と街をあるきませんか。

みんなでやれば、怖くない、です。






2011年7月31日日曜日

「独居老人」って言うな!

先日の新聞に、「独居老人の世帯が初めて500万世帯を超えた」とありました。

ドッキョロージン、かあ。なんか、さびしーい感じがしますねえ。
身寄りも、友人もいない、孤「独」で、寂しい「老人」が、薄暗い部屋でぽつねんとして「居」る様子が目に浮かびます。

「そうなんだ、孤独な一人暮らしを強いられている老人が、そんなにも増えたんだ。かわいそう。世の中、どうなっているんだ。家族は、そんな年老いた親をほうっておいて、いいのか。冷たい世の中になったもんだ。みんな、行き着く先は、孤独死か・・・」というネガティブな気持ちになります。

よく読むと、その「老人」は、65歳以上の高齢者を指すのだそうです。

ちょ、ちょっと、待ってくださいよ。私なんか、あと数年で「老人」ですか。それで、一人暮らししていたら、「独居老人」ですか。ええー、かんべんしてくださいよ。

「独居」の何が悪いって、「独居」という響きが、「孤独」とか「独居房(!)」とかいう、くらーいイメージを連想させるからじゃないでしょうか。
平均寿命が90歳にもなろうかという日本では、 60代や70代では、「老人」とは、呼ばれたくはないでですよね。(80歳になっても、受け入れるかどうかも疑問)

「独居老人」の言葉が新聞に現れ始めたのは、調べてみると、1979年あたりからでした。 それも、犯罪被害者としての記事がほとんど。これも、「独居老人」にマイナスイメージを持つ理由のひとつかもしれませんね。

言葉は、大事です。以前、新聞の記事には「老婆」「老女」という言葉が頻繁に出てきました。最近では「女性(87歳)」「男性(90歳)」なんて書いてあります。「老人」という言葉も、「老人ホーム」「老人クラブ」のような使い方以外には、あまり見られなくなりました。社会全体が、差別的な言葉は使わないような流れになっていることは、とてもうれしいです。

「独居老人」も、「一人暮らしの高齢者」 と書いてあれば、ネガティブな印象はなくなります。新聞の場合は文字数の制限もあるので、「単身高齢者」なんかはどうでしょうね。「単身赴任」と同じで、かなりニュートラルな感じになります。これなら、私も、呼ばれてもいやな気分にはなりません。

一人暮らしを孤独で惨めなものにするか、気楽で楽しいものにするかは、その人の心がけも大きいでしょう。一人暮らし高齢者に対する世間全般のマイナスイメージは、私たち自身が、はつらつと生きがいをもって自立した暮らしをすることで、変えていかなければ、と思いますね。

2011年7月20日水曜日

あきらめないこと

なでしこジャパンが、サッカーの女子ワールドカップ決勝戦で最強のアメリカチームに逆転勝ちをし、念願の金メダルを獲得した。

このすばらしい瞬間を、幸いにもライブで観ることができた。普段はサッカーにはあまり興味のないusagiだが、このときばかりは、早朝のテレビの前で 歓声をあげた。

ニュース解説で、日本チームを勝利に導いたのが、女子ワールドカップに4回も出場した澤穂希選手だということを知ったときは、にわかには信じられなかった。だって、4年に一回の開催でしょう、ということは、16年も出場していたの?! っていうことは、澤選手って、30過ぎてる!

澤選手のことを知りたいと思って、いろいろネットのニュースを読んでいると、スポーツジャーナリストの吉井妙子さんの記事が目に留まった。そして、とても感動的な言葉を見つけたので、ここで紹介させていただこうと思う。

澤選手は
「出来ないことっていっぱいあるじゃないですか。でも、私は出来ないことをそのままにしておかないんですよ。ミスしたり失点したりすると、その試合のビデ オを見ながらなぜ失点したのかを分析し、出来ないことは出来るようになるまで練習するんです。でも、そんな考えは小さい頃から持っていた」

澤選手は12歳から日本代表の先輩達と一緒に練習させられた。しかし、実力差は歴然としていた。
「それが私には凄く悔しかったんです。お姉さん達は日本代表だから、なんて関係ない。お姉さん達が出来るのに、なぜ私に出来ないのかって、毎日隠れて泣いていました。だから一人で壁に向かってキック、ドリブル、シュートなどを、納得がいくまで居残り練習をしていました」

普通、出来ないことって、あきらめませんか。それが、澤選手は、「出来ないことは出来るようになるまで練習する」という。

普通、あの人には出来たって、自分なんかには、出来ないって、思いません?それが、澤選手は、「なぜ私に出来ないのか」って、納得がいくまで練習するといいう。

この「普通」じゃない強い意志の力があったからこそ、今回の金メダルがあるんですね。

「そんな強い意志なんて、とてもじゃないけど、私にはない」って思いません?
そう思っている限り、人生で何事もなしえないということがわかりました。

競技って、人生そのものですね。

【参考サイト】

「あらたにす」

http://allatanys.jp/index.html

2011年7月11日月曜日

フィットネスクラブが介護予防事業に乗り出す

usagiがスポーツクラブに、いや、最近は「フィットネスクラブ」というらしいですが、通い始めて、そろそろ半年になろうとしています。おもに、エアロビクスとマシンの筋トレをやっていますが、なかなか好調です。

50分の激しい運動なんて、とてもじゃないけど、一人ではできません。スタジオで、軽快な音楽にのって、インストラクターさん、そしてみんなといっしょに、というところがあるから、運動嫌いなusagiにでもできるんですね。

これまでフィットネスクラブには何度か通ったことはあったのですが、いずれもすぐに挫折していましたが、今度は、続きそうな予感がします。なぜって、「介護予防」という、大きな目的があるからです。

こんなふうに思っているusagiの気持ちが伝わったのか(?)、フィットネスクラブ大手が介護予防事業を強化しているらしいです。若い人のフィットネス離れが顕著で、どのクラブも新規開拓に苦戦しているらしいですが、ここでも、シニアは注目の的なんですね。

介護保険から、介護予防に関する活動に支援が出るようになったことも、おおきな変化です。国の社会保険制度が破綻しそうなとき、どう考えたって、病院の待合室で社交するより、フィットネスクラブで社交したほうが、いいにきまっています。

しかし、表立って「介護予防プログラム」なんて言われると、私たちの世代は、ちょっと、二の足を踏んでしまいますね。

はいはい、確かに、リッキーマーチンの曲でズンバを踊りながら、心の中では、こりゃあ、介護予防にいいわ、と思っておりますよ。思っておりますが、スタジオの入り口に、「介護予防プログラム」とか「認知機能向上プログラム」とかあったら、ちょっと、入りずらいですね。

そんなデリケートなシニアの心模様をくんで、介護予防事業に取り組んでもらいたいものだと、usagiは思うのでした。

2011年6月29日水曜日

オフィシャルオフ会 盛況でした


6月26日に東京・六本木で行われたオフィシャルオフ会、おかげさまで盛況のうちに幕を閉じました。
今回は、東北を応援しようというコンセプトで、東北の食材を豊富に使ったお料理が自慢の居酒屋さんを借り切ってのオフ会でした。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。m(-_-)m 

下記の写真は、プレゼントさせていただいたシニア・ナビの名刺に、ご自分のお名前を書いていただいているところです。



まずは、テーブルごとに自己紹介をしていただき、その後、おいしいお料理とお飲み物で、歓談をしていただきました。

さすがシニアだけあって、皆さん、気配りの名人ばかり。

おかげさまで、終始、和気藹々とした雰囲気で、とても活気のあるオフ会になりました。

席替えは2回設けさせていただき、できるだけ多くの方とお知り合いになっていただけるように配慮しましたが、それでも、お話を出来なかった方もおいでになるようでした。

次回は、自由に席を移動していただける機会も設けたいと思います。

次回、いつどこになるか、楽しみですね。(^_^) 

追伸:オフ会終了後、有志のメンバーが中心となって、カラオケ2次会を開催してくださいました。メンバーの自主企画ということで、スタッフは参加をご遠慮させていただきましが、かなり盛りあがったと伺っております。幹事さん、ありがとうございました。

2011年6月13日月曜日

オフィシャルオフ会、締め切り間近



第2回オフィシャルオフ会の申込み締め切りが、6月16日と迫ってまいりました!

今回のオフィシャルオフ会は「東北応援」もテーマに掲げて、東北の食材とお酒を楽しむことのできるお店としました。もちろん、オフ会という事でシニア・ナビメンバー同士交流を深めて頂く為に自己紹介タイムや席替え等も実施いたします。

皆様のご参加を心よりお待ち申しております。
当日は東北の食材を使ったおいしい料理とお酒楽しみながら、シニア・ナビメンバー同士、親睦を深めて頂ければと思います。

また、初めての方や、お一人でご参加の方もすぐに皆様と打ち解けていただけるように、 スタッフ一同、細心の心配りで対応させて頂きますのでどうぞご安心してご参加ください。

▼第1回オフィシャルオフ会の様子はこちら
▼第1回オフィシャルオフ会の様子を綴った事務局長のブログはこちら

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開催日:2011年6月26日(日)
時 間:13:00~16:00(3時間)
場 所:
産直海鮮居酒屋 浜焼太郎 西麻布店 住所:東京都港区西麻布1-7-4 1F (地下鉄六本木駅 2番出口 徒歩4分) 03-5772-5722 詳細・地図はこちらから >>

会 費:4,000円
申込締切:6月16日(木)
申込方法:当ページの下記フォームよりお申込み下さい
応募資格:
○シニア・ナビメンバーの方。 ○シニア・ナビ上にオフ会中の写真、ニックネームの公開をご了承頂ける方。 (写真をシニア・ナビ上で公開する場合には個人が特定できないように配慮いたします)

内 容:
お食事は着席、大皿料理、フリードリンク制となります。お時間は3時間 で、途中で席替えをして、できるだけ多くの皆様とお知り合いになれるよう配慮いた します。

申込みフォーム

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