8月24日 第1日目。
海岸沿いの壊滅的な状態にショックを受けましたが、気を取り直して、また走り始めました。
お昼は、国道沿いの地元の小さな食堂に入りました。
そこで、食堂の女将さんや地元の方に、いろいろと震災当時のお話を伺うことができました。
(食堂の女将さんのお話)
この食堂まで津波は押し寄せてきたが、幸い、浸水くらいですんだ。自分たちは地震が来てすぐに逃げたが、姉夫婦が津波に持っていかれてしまった。
(男性のお客さんのお話)
自分の家は海岸から600メートルのところにあった。
新築して10年しかたっていなかったが、根こそぎ、津波に持っていかれた。
自分たちはすぐに逃げて助かったが、一切合財、なくしてしまった。
しかし、自分が保険屋をやっていることもあって、地震・津波保険に入っていたので、二重ローンにならずに済んだ。
震災後は地震・津波保険に入る人が増えた。自分は元自衛官なので、震災後はボランティアで駆け回った。
津波のときは、ちょうど地区のお年寄りの集まりの世話をやっていたので、自宅で7,8人の年寄りがお茶していた。
地震の直後、自分は皆をワゴン車に乗せて、逃げた。あとで、お年寄りからは、命の恩人だと言われた。
他のお客さんたちも、みな地元の人らしく、気軽に、いろいろと津波のことを話してくださいました。一人ひとりに、語るべきドラマがあるということが、ほんのちょっとお話しただけでもわかりました。
もっとゆっくり、お話を伺えれば、もっと、いろいろと聞かせていただけたと思うのですが、ここであまり時間を使うわけにも行かず、残念でした。
皆さんから、この地域に仮設住宅の商店街があることを伺ったので、午後は、そこへ行ってみることにしました。
出かける前には、旅程の大体の目安はつけてきたのですが、とは言っても、なんのつてもなく、どこを訪れたらいいのかわからないまま、出発しました。
こうやって、現地の方とお話をすると、いろろとおしえてくださるので、とても助かりました。
余談ですが、カーナビって、本当に便利ですね。今回、初めて自分で運転しながら使ってみましたが、極度の方向音痴の私でも、カーナビさえあれば、日本中、どこへでも行けそうな気がします。
「そこを右です。」なんてカーナビに言われて、そのたびに従順に「はい」と返事をしていた私でした。
ベテランドライバーの同伴者は、カーナビの指示を無視して、勘で走っていましたが、私にはとてもそんな大それたことはできません。
(続く)