2012年8月31日金曜日

2012年夏 大震災1年半後の東北へ(3)

8月24日 東北の旅、一日目の午後は、宮城県亘理町の「ふるさと復興商店街」に伺いました。


 



 仮設住宅内は、昼下がりとあって、人っ子一人歩いていませんでした。商店にも人影はなく、営業しているのか、ちょっと心配になりましたが、コロッケ家さんを見つけて、中に入らせてもらいました。


ちょうどお昼をいただいたばかりだったので、コロッケひとつだけ、買って食べましたが、揚げたてで、とてもおいしかったです。

ここでも、コロッケ家の奥さんに、いろいろとお話を伺いました。

お店は海岸近くにあり、すべて津波にさらわれてしまったこと。仮設で商店街をつくるから、やってみないかと言われて、お店を始めたこと。
店が仮設の人たちの集会場みたいになって、 住民の皆様に喜ばれたこと。芸能人やお相撲さんも来てくれて、うれしかったことなど、気さくに話してくださいました。

夕方になると、仕事から帰った人たちで、店も活気を取り戻すそうです。
お話を伺っているときも、学校帰りの高校生らしいお客さんがあったりして、普段の暮らしが少しずつ取り戻されている様子が伺えました。

それでも、この仮設住宅で暮らす方々が、住む家や大切な人をなくし、悲しみにじっと耐えていることを思うと、厳粛な気持ちにさせられました。

2012年8月29日水曜日

2012年夏 大震災1年半後の東北へ(2)

8月24日 第1日目。

海岸沿いの壊滅的な状態にショックを受けましたが、気を取り直して、また走り始めました。

お昼は、国道沿いの地元の小さな食堂に入りました。

そこで、食堂の女将さんや地元の方に、いろいろと震災当時のお話を伺うことができました。

(食堂の女将さんのお話)

この食堂まで津波は押し寄せてきたが、幸い、浸水くらいですんだ。自分たちは地震が来てすぐに逃げたが、姉夫婦が津波に持っていかれてしまった。

(男性のお客さんのお話)

自分の家は海岸から600メートルのところにあった。
新築して10年しかたっていなかったが、根こそぎ、津波に持っていかれた。
自分たちはすぐに逃げて助かったが、一切合財、なくしてしまった。
しかし、自分が保険屋をやっていることもあって、地震・津波保険に入っていたので、二重ローンにならずに済んだ。
震災後は地震・津波保険に入る人が増えた。自分は元自衛官なので、震災後はボランティアで駆け回った。
津波のときは、ちょうど地区のお年寄りの集まりの世話をやっていたので、自宅で7,8人の年寄りがお茶していた。
地震の直後、自分は皆をワゴン車に乗せて、逃げた。あとで、お年寄りからは、命の恩人だと言われた。


他のお客さんたちも、みな地元の人らしく、気軽に、いろいろと津波のことを話してくださいました。一人ひとりに、語るべきドラマがあるということが、ほんのちょっとお話しただけでもわかりました。

もっとゆっくり、お話を伺えれば、もっと、いろいろと聞かせていただけたと思うのですが、ここであまり時間を使うわけにも行かず、残念でした。

皆さんから、この地域に仮設住宅の商店街があることを伺ったので、午後は、そこへ行ってみることにしました。

出かける前には、旅程の大体の目安はつけてきたのですが、とは言っても、なんのつてもなく、どこを訪れたらいいのかわからないまま、出発しました。

こうやって、現地の方とお話をすると、いろろとおしえてくださるので、とても助かりました。




余談ですが、カーナビって、本当に便利ですね。今回、初めて自分で運転しながら使ってみましたが、極度の方向音痴の私でも、カーナビさえあれば、日本中、どこへでも行けそうな気がします。

「そこを右です。」なんてカーナビに言われて、そのたびに従順に「はい」と返事をしていた私でした。

ベテランドライバーの同伴者は、カーナビの指示を無視して、勘で走っていましたが、私にはとてもそんな大それたことはできません。


(続く)





2012年8月28日火曜日

2012年夏 大震災1年半後の東北へ(1)

8月24日から26日まで、仙台を中心とした東北の被災地に行ってきました。

被災地の現実をこの眼で見ておきたいと思っていましたが、被災された方々にご迷惑じゃないか、不謹慎じゃないかという思いもあり、 ずっと躊躇していました。

しかし、現地の方が、実際の被害の様子を直に見て感じ取ってくださいとおっしゃっているのを聞いて、その声に背中を押されるようにして、行ってきました。

同世代の社会人学生の女性と二人で、仙台からレンタカー借りて周りましたが、同行者がいなければひとりでもと思っていたので、彼女が一緒に来てくれて、本当に心強かったです。

大津波から1年半たった、被災地の様子をご報告します。

1日目は昼前に仙台駅に到着。レンタカーを借りて、海岸沿いを相馬市に向けて南下しました。


 国道の海岸側は、雑草の茂った野原にところどころ住宅の土台が残っているだけで、見渡す限り、建物らしい姿は見られません。


建物が津波に持っていかれ、土台だけが残っている家がほとんどです。

瓦礫がきれいに取り払われ,、まるで新築の家が建つのを待っているようです。この土台の上で、泣いたり笑ったり、普通の暮らしが、当たり前のように営まれていたことを思うと、胸が詰まります。


被災したまま、取り壊されずに無残な姿をさらしている建物も残っていました。

防砂の松林も、被災前は向こうが見えないほどみっしり群生しいたのが、ほとんど津波にさらわれて、今はまばらにしか残っていません。

(続く)

2012年8月13日月曜日

人類の叡智

ロンドンオリンピックが終わりました。

開催中は、私もテレビの前に釘付けで、日本選手の活躍に一喜一憂していました。

最初は柔道の不振などでメダルも思うように取れず、歯がゆい思いもしましたが、終わってみれば獲得メダル数は金銀銅合わせて38個と、史上最多となりました。

日本の選手の皆さん、 すばらしいパフォーマンス、本当にありがとう!

メダルが取れるかどうかは、選手本人にとっても、私たち国民にとってもオリンピックの最大の関心事にはちがいありません。

オリンピックのような世界大会のとき、私たちはいつもより強く、自国のことを意識するのは自然のことです。

しかし、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」というオリンピックの精神にもう一度立ち戻って考えてみませんか。

今大会に参加した国・地域は204。48年前の東京オリンピックの倍以上の多さです。

人種や民族、文化・言語や政治体制の違いを超えて、 この地球という星に住む人類の代表が一堂に会し、身体的能力の極限を競うのです。

なんてすばらしいことでしょう。

これこそ、オリンピックの最大の意義ではないでしょうか。

地球上でまだまだ貧困や暴力が人々を苦しめています。

それを乗り越えて、オリンピックの旗の下に地球上のあらゆる地域からアスリートが集う。

このようなオリンピックを開催できる人類の叡智を、私は今、讃えたいと思います。


2012年8月1日水曜日

シニアお見合いパーティー潜伏記

先日、50代シングルの友人Aさんから、「50代限定お見合いパーティー」に行ったときの話を聞きました。

興味のある方もいらっしゃるかと思い、彼女に許可をいただき、このブログに書かせていただくことにしました。


A子さんは54歳、15年前に離婚して以来、女手一つでお子さん二人を育ててきました。

下のお子さんが独立したのを機に、新しい人生を始めようと、意を決して、お見合いパーティーに参加したということです。

*****(A子さん談)


(以下、個人を特定できないように、多少、脚色してあります)


そのお見合いパーティーは、ネットで探しました。

料金は、3000円~5000円。

意外と安いと思ったら、飲み食いなし、だそうです。

でも、かえって、そのほうがよかったです。

飲んだり食べたりしながら、短時間でお話しするのって、難しいですものね。

会場は銀座にあるビルの2階。

集合時間ぴったりに入ったのですが、会場は7割がた埋まっていました。

こういう集まりに参加するのは初めてだったので、もう、心臓バクバクしていました。

入り口では、2,3人の女性スタッフが対応してくれました。

いかがわしい雰囲気はまったくなく、まじめな感じで好感が持てました。

始めに、自分の番号と、紙を渡されました。

一つは、相手に渡す自己紹介の紙、もう一つには自分用で、それに、気に入った人の番号を書き入れ、最後にマッチングをするということです。

会場には、二人がけのテーブルが配置されていて、女性は壁側に座り、男性が席を移動しながら、すべての女性と話をするというシステムです。

女性のほうからすれば、男性が入れ替わり立ち代わりやって来て話をするという感じです。

さて、案内された席に座って見回すと、あれ、隣はなんだか、若そうな女性が二人。

女性同士で話をしてもいいのかしら、と迷いましたが、間が持たないもので、ちょっと、話しかけてみました。

彼女たちは30代半ばで、自分たちはわがままなので、結婚相手は年上の男性が言いかなと思って、参加したということです。

へー、そういう考え方もあるわけですね。

そんな話をしていると、私の前にも男性が座り、いよいよ、始まりです。

まずは、司会の方が、パーティー進行の説明をします。

そして、ひとり10分くらいの時間で、男女ペアで自己紹介をしあいます。

それが終われば、男性は次の席に移動して、また別の相手に同じことを繰り返すわけです。

男女、15名ずつだったので、それを15回、繰り返すわけです。

ものすごく事務的に進行するので、恥ずかしいという気持ちは、まったくなくなってしまいました。

10分という時間は、本当にあっという間で、相当強烈なインパクトがないと、なにも印象に残らない感じです。

私の印象に残った人は二人。

一人は私より年下で、不動産業を営んでいて、年収1000万って、書いてありました。

なかなかハンサムで魅力的な人でしたけど、それだけに、ちょっとあぶなそうな感じもしました。

もう一人は、59歳の男性で、年齢がぎりぎりですね、って笑っていました。

誠実な感じでした。

その人は、もしよかったら、連絡くださいと、自分のメアドを渡してくれました。

なんだか、必死のまなざしでした。

全員が話し終わると、参加者は希望の人の番号を書いた紙をスタッフに渡します。


私は、初めてだったこともあり、どなたの番号も書かずに、出しました。

スタッフは、それを集計して、いよいよマッチングの発表です。


マッチング発表のときは、みんなたぶん、どきどきだったと思います。

私は、誰の番号も書いていなかったので、まるで見学者のような気分で、気楽に聞いていました。

その日は、参加者30名のうち、5組のマッチングが発表されました。

発表は番号なので、だれが呼ばれ、だれが呼ばれなかったのかは、ほかの人にはわかりません。

そして、まず男性が外に出て、マッチングした人だけが、外で女性を待ちます。

その後、女性が外に出て、マッチングした女性だけが、待っている男性のところに行きます。

そのほかの人は、知らん振りして、夜の街にすーと消えていきました。

なるほどね、外れちゃった人も、恥ずかしい思いをしないですむように、ちゃんと配慮されているんですね。

いい体験をしました。

これで、なんだかふっきれたような感じがしました。

これからは、積極的に出会いを求めて、どんどん外へ出て行こうと思えるようになりました。

*********(A子さん談 完)

とまあ、A子さんの話はこんな感じでした。

なかなか貴重なお話でしたが、私は、こういう出会いの場があるって言うことは、とてもいいことだと思いました。

離婚したら、死別したら、あとは寂しい老後が待っているだけ、なんて考えないでいいと思います。

いくつになっても、愛する対象があるということ、愛されているという実感があるということは、人生を豊かに、幸せなものにしてくれると思います。

A子さん、がんばれ!