あの日、私は都内の繁華街で道を歩いていました。
突然の激しい揺れに、道路の真ん中にしゃがみこんで、しばらくは呆然としていました。
建物からは人々が飛び出してきて、道路の真ん中あたりに集まっていました。
初めて聞くガラガラガラという、建物が揺れる音。
電信柱や遠くのビルがおおきくゆらゆら揺れているのが、ハッキリわかりました。
世界がどうかなってしまいそうな恐ろしさを感じました。
地下鉄の出口から続々と人々が出てくるのを見て、地下鉄が止まったということを知りました。
最寄のJR駅に行って見ましたが、運行休止で外まで人があふれかえっていました。
幸いに、近くのカフェに入れたので、しばらくそこで待っていたのですが、電車はあきらめて、徒歩での帰宅を決めました。
家族へ何度も電話するも、つながらず。
携帯メールは、時間はかかったものの、送受信ができたので、安否の確認がとれたので安心しました。
自宅には3時間かけて歩いて帰りましたが、黙々と避難する群衆の中にあって、その異様さに、疲れも何も感じる余裕はありませんでした。
途中、公民館のようなところでトイレを使わせてもらったとき、ホールのテレビで初めて、地震の詳細について知ることができました。
そしてやっと帰宅したその晩、おそろしい津波の映像にテレビの前に釘付けになったのでした。
あれから1年たちました。
震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
愛する人、家、しごと、すべてを失った被災者の方々の心中を思うと、言葉もありません。
使い慣れたものたちに囲まれて自分らしい暮らしができることが、どれだけ大切なことかを思わずにはいられません。
これだけの自然災害に見舞われる可能性のある日本列島では、原発の安全性が保証されることは決してないということを、私たちはこの大震災で学びました。
豊富な電力によって経済がどんなに発展しようとも、人の命と暮らしが守られなければ、どんな意味があるというのでしょうか。
これから私たちができること、それは、決して忘れないという決意なのではないかと思います。