2012年3月24日土曜日

和菓子作りに挑戦しませんか(4月8日実施)


シニア・ナビの体験イベントは、これまでに陶芸教室、AED講習を行ってきました。

和気藹々とした雰囲気で楽しかった、役に立ったと、参加者の皆様からお声をいただいています。

さて、4月は和菓子づくりに挑戦します。




春らしく、桜にちなんだ和菓子「桜餅」と、早春の和菓子といわれる「うぐいす餅」の2品を、講師をまじえて作っていただきます。

「和菓子作り」というと、難しいイメージを持つ方もいらっしゃるかと思いますが、今回は自宅でも簡単に作ることができるものです。

普段お菓子作りをされない方や、まったく料理をされない方でも安心してご参加いただけます。

ベテランだけどシニア・ナビのメンバーと一緒に和菓子が作りたい!という方のご参加も大歓迎です♪

和菓子作りに挑戦しながら、メンバーとの交流を楽しみませんか。

開催は4月8日(日)です。

詳しくは、下記をご覧ください。

http://www.senior-navi.com/monitor/32/index.html

2012年3月17日土曜日

シニア・ナビ誕生秘話 (2)

私たちは小さな会社なので、資金面では、とても大手にはかないません。

大手が参入しないジャンルで、なにかないか。

それに、社会貢献できるような仕事がしたい。

いまでいうソーシャルビジネスのようなものを考えていました。

当時は、50代以上でパソコン、インターネットを利用している割合は非常に少なく、シニア向けサイトも、介護関連がほとんどを占めていた時代でした。

1999年は、介護保険制度が導入される前年で、世間は、「高齢者=介護が必要な人」といった流れになっていました。

高齢化社会が取りざたされ、マイナスイメージばかりが強調されていたのです。

しかし一方で、1999年は、国連で決議された国際高齢者年でもありました。

高齢者の自立、参加、ケア、自己実現、尊厳の実現をモットーに、世界的な取り組みが行われた年でもありました。

社会で活き活きと活躍するシニアの方はたくさんいる。

そうだ、そんなアクティブシニアのためのサイトを作ろう。

それが、シニア・ナビ誕生のきっかけでした。

日本には先例がなかったので、参考にしたのは、アメリカのシニアサイト。

アクティブなシニアが、様々な分野で活躍している様子に、刺激を受けました。

資金もなく、手作りのサイトづくりでしたが、スタートと同時に、多くの方に注目していただき、マスコミでも取り上げていただきました。

コミュニティには、メンバー登録が相次ぎ、談話室や日記、プロフィールやらで、活発な交流が始まりました。

習い始めたばかりのパソコンと格闘しながら、やっと書込みができたことに、おおきな喜びを感じていらっしゃる様子が、事務局にも届いていました。

 ネット上での交流が盛んになるにつれ、パソコンの向こうにいる人は、いったいどんな人たちなんだろう、という興味が、私の中にむくむくと頭をもたげてきました。


⇒「自主企画のオフ会が盛んに」へ

2012年3月12日月曜日

シニア・ナビ誕生秘話 (1)


シニア・ナビは1999年3月に産声を上げました。

おかげさまでこの3月で、13周年を迎えることができました。

「これもひとえに・・・」と、続くところですが、紋切り型の挨拶ほどつまらないものはないでしょう。

今日は、もっと、シニア・ナビ草創期の立ち入ったお話をしましょう。

私は当時、編集プロダクションを主宰していました。

1997年、インターネットの草創期のことでした。

幸運にも、長野オリンにピック関連の仕事で、サイト制作にかかわる機会を得たのです。

ホームタウンホームページというサイトです。

日本各地の情報を取材して、ネットで情報発信するとというものでした。

今でも、下記でごらんいただけます。

http://hometown.infocreate.co.jp/

テキストがあって、写真があってという、まるで雑誌のようなつくりですね。(笑)

デジカメだって、まだ普及していない時代です。

それでも、ネットを通じて世界中に発信できるということだけで、感動しました。

これからは絶対インターネットの時代だと、私はそのとき確信しました。


⇒シニア・ナビ誕生秘話 (2)へ

2012年3月11日日曜日

3.11 あれから1年


あの日、私は都内の繁華街で道を歩いていました。

突然の激しい揺れに、道路の真ん中にしゃがみこんで、しばらくは呆然としていました。

建物からは人々が飛び出してきて、道路の真ん中あたりに集まっていました。


初めて聞くガラガラガラという、建物が揺れる音。

電信柱や遠くのビルがおおきくゆらゆら揺れているのが、ハッキリわかりました。

世界がどうかなってしまいそうな恐ろしさを感じました。

地下鉄の出口から続々と人々が出てくるのを見て、地下鉄が止まったということを知りました。

最寄のJR駅に行って見ましたが、運行休止で外まで人があふれかえっていました。

幸いに、近くのカフェに入れたので、しばらくそこで待っていたのですが、電車はあきらめて、徒歩での帰宅を決めました。

家族へ何度も電話するも、つながらず。

携帯メールは、時間はかかったものの、送受信ができたので、安否の確認がとれたので安心しました。

自宅には3時間かけて歩いて帰りましたが、黙々と避難する群衆の中にあって、その異様さに、疲れも何も感じる余裕はありませんでした。

途中、公民館のようなところでトイレを使わせてもらったとき、ホールのテレビで初めて、地震の詳細について知ることができました。

そしてやっと帰宅したその晩、おそろしい津波の映像にテレビの前に釘付けになったのでした。

あれから1年たちました。

震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

愛する人、家、しごと、すべてを失った被災者の方々の心中を思うと、言葉もありません。

使い慣れたものたちに囲まれて自分らしい暮らしができることが、どれだけ大切なことかを思わずにはいられません。

これだけの自然災害に見舞われる可能性のある日本列島では、原発の安全性が保証されることは決してないということを、私たちはこの大震災で学びました。

豊富な電力によって経済がどんなに発展しようとも、人の命と暮らしが守られなければ、どんな意味があるというのでしょうか。

これから私たちができること、それは、決して忘れないという決意なのではないかと思います。

2012年3月4日日曜日

子供世帯との距離感


usagiの独断と偏見による、クールシニア宣言です。
人の生き方は多様ですから、これから書くことが、すべてに当てはまるとは思っていません。

不快に思われたら、ごめんなさい。
さて最近は、ネットの投稿で、嫁姑不仲の実態が良くわかるようになってきましたね。

多くは、姑側の心無い発言、過干渉にお嫁さんが参っているというもの。

最近では、お嫁さん側も負けてはいません。夫を巻き込んで、「疎遠」という反撃に出ています。

そんな情報がネットで蔓延しているおかげで、結婚前から、姑といえば過干渉と決め付けて、毛嫌いする若い女性も増えているとか。

お姑さん側は、非常識な嫁、自分の息子の家に行くのにアポなし訪問なんか当たり前、悪気があって言ったわけじゃない、気にしすぎ、など、まったく反省の色もありません。

おまけに、お嫁さんに同居を迫り、介護はよろしくね、とお世話になる気まんまんとか。

それが、50代、60代の若い姑のことだというから、びっくりです。本当でしょうか。

もしそれが本当なら、姑世代を代表して(?)、お嫁さん世代に謝りたいくらいです。

クールシニアにとって、そんな姑根性はまったく、かっこ悪すぎます。

クールなシニア女性は、子供が結婚したら、まったく別の家庭と考えます。

趣味や旅行、学習、ボランティアと、
毎日忙しくて、子供家庭のことなんかにかまけている暇はありません。

同居は不幸の始まりです。実の娘家族との同居だって、お断りです。

お嫁さんが嫌がるのと同じくらい、こちらだって、他人と同居なんて、無理です。

お世話してもらえなくっていいんですかって、言わないでくださいね。

介護が必要になったら、専門家に任せますので。

そのために、長年コツコツためた貯金は取っておこうと思っています。

間違っても、二世帯住宅なんていうものに大切な老後の資金を使いたくありません。

嫁姑との関係が悪化しても、逃げようがありませんから。

そのくらいクールな距離をおいてこそ、親世代と子世代、お互い、いい関係を築けるんじゃないでしょうか。