2011年12月12日月曜日

「死」について

フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの『死』という500ページにも及ぶ大著を読みました。「読んだ」というより、社会人学生としてusagiが通っている大学の授業で、「読まされた」といったほうがいいかもしれませんね。

私たちはシニアですから、「死」について、よく考えますよね。長生きしてぽっくり死にたいというのが、大方の希望でしょう。この『死』という本は、もちろん、楽な死に方について書かれているわけではありません。

「死」とは何か、哲学的に考察しているわけです。小さな文字でびっしり、500ページもですよ。頭がくらくらしてしまいます。

これまでの賢人や哲学者が死についてどう語ったかということから始まって、宗教における死とか、いろいろ書いてあります。しかし結局、著者は「死は無である」と結論付けます。あの世というものはない、と言うのです。

人は死ねば、「無」になってしまうのかと思うと、とても虚しい感じがします。自分が「無」になるなんて、恐ろしいことです。どうやって、受け容れればいいのでしょう。

著者はしかし、最後に、希望を見せてくれます。人間は死んだら、その肉体も精神も無に帰してしまいますが、「私」という人間が確かに存在したという事実は、決して無にはならない、と言うのです。

そう言われれば、そうですよね。存在したということは、決してチャラにはならない。私を知っている人がすべて死んでしまったあとでも、「私」という人間が存在したという事実は、消せない。

死のことを考えることは、生のことを考えることだと、著者は言います。死があるからこそ、生きていると言える。死がないものは、生きてはいないのと同じこと。死があるからこそ、生が輝くのです。

冬枯れを目前にして、紅葉が一瞬燃え上がるように鮮やかな輝きを見せるように、私も自分の生を輝かせることが出来るでしょうか。